Shape of my word

日々の生活で感じたこと、思ったこと、考えたこと、を言葉にします

 街のネオンが眩しく感じる。そういう時は疲れているのだと思う。車窓から目をすり抜ける景色は、記号ほどの情報もなく、使い道のない風景で、考えることを放棄するには都合がよい。この移動する箱は、体が揺れるだけで進んでいる実感は全くない。駅のホームで入れ物を吐き出しては、また詰め込む。終始それを繰り返し、決められたレールの上を秩序を保ち移動する。体は一つしかないのに、どうしてこうモノに溢れているのだろう。情報は錯綜し、さも最もらしい答えを差し出して、その責任も当人任せだろう。どうして情報を正しく判断する能力を育てないで、簡単に手に入る答えを真実だと。勘違いさせるようなことを平気で語る言葉に価値はあるのだろうか。