Shape of my word

日々の生活で感じたこと、思ったこと、考えたこと、を言葉にします

  僕の正しさなんて僕だけのもの。何気なく聴いていた歌の歌詞にあったフレーズ。本当にそう思う。人と話をする時に、人と自分の意見は違って当たり前だと思いながら話をするようにしている。正しい答えのようなものには興味はなくて、その時にあった答えでとりあえずやってみればいいと思う。間違えたと思えば修正すればいいし、やってみなければそれが正解かどうかも確かめようがない。人の意見を悪く言いたくないし、人と自分は違って当たり前だから。自分と同じくらい人を尊重してやっていきたいといつも思っている。

  夜明けと共に美しい朝焼けを見る。海を照らす光が海面を照らし、それが眩しかった。走り始めると、なるべく頭を空っぽにして、なにも考えずに走った。10キロ、20キロ段々と脚が重たくなってくる。道の半ばで友人が応援してくれた。胸が熱くなるのを抑えて、冷静にペースを保つ。30キロを過ぎた辺りで、本格的に苦しくなる。時間は歪曲され、脚は自由を奪われる。最後は体力ではなく、気持ちで走った。ゴールして空を見上げると泣きそうになる。もうこれ以上、走らなくていいという安堵とこんなにキレイな空を見たことがないと感動する。3時間と少しの間に価値観を変えるような体験をする。ここでキチンと息をしている、生きているのだと実感した。4度目のフルマラソン、3時間15分16秒のタイムでした。

花の旬は短く、その一瞬に命は輝いた。土の中で眠り続ける種は誰に見守られる訳でもなく、その時をただ待っていた。芽が出た時に人の目に触れ、振り向きもされなかった若葉は、雨と太陽に愛でられ、すくすくと成長する。美しく咲き誇る花弁を見て、誰もが春の到来を知る。季節を彩る花に想いを寄せて、花に寄り添い気持ちを馳せる。その花の名前をまだ誰も知らない。

  マラソンの話。フルマラソンは自分にとって特別な距離です。10キロは気持ちよく走れます。20キロは少し頑張れば走れます。30キロは頑張ればなんとか走れます。42.195キロは無理をすれば走りきれます。幾度も気持ちが折れそうになり、痛みを飼いならし、ようやくゴールできるのが自分にとってのフルマラソンです。極限の状態で試されてることを辛いと思わないで、面白くなってきた。そう思うようにしてます。自分の限界を試す機会などそうそうないものだと思います。試されている、そして答えはもうすぐに分かる。だから面白い。辛いと感じた頃に答えはもう近いところにある。そう考えながら走っています。

  フルマラソンにおいてタイムがすべての答えで、結果だと思う。決して短いとは言えない42.195キロという距離は誤魔化しがきかない。五体に備わった能力を、苦しさに耐えられる精神力を試される。結果に足が追いつくように、トレーニングをする。極限の状態を想定したタフなワークアウト、足りない所ばかりが目に付いて、それを埋めるために、また走る。走れども走れども、その先が見てみたくて。

 物を持つのがあまり好きではない、正確に言うと物を維持するのが煩わしい。車であれば、ガソリン、保険、駐車場など手のかかることが多すぎる。自転車でさえ面倒である。ただ時計のようにそれ一つで完成されているような物には魅力を感じる。ただ猫が物でないのは自明の事実で、これ以上ないほどに手がかかるが、これ以上ないほど愛おしく幸せな気持ちにしてくれる唯一無二の存在で、時たま天使の生まれ変わりとさえ思えることある。